この様な第三者的目線でありながら何処か主観めいた、何とも言い難い不安を孕んだ語りで始まる作品は1986年発行/菅野修「象を見た男」(北冬書房)であります。
あの独創的かつ前衛的な作家・作品を数多く世に送り出してきた雑誌「ガロ」にて漫画家としてデビューを果した菅野修氏が処女短編集「冬哭」(北冬書房)、次いで「ローカル線の午後」(青林堂)、「娼婦菅野修劇画作品集II」(北冬書房)と単行本を出版し、四作目として発表したのが完全書き下ろし大作「象を見た男」なのです。
この作品が発表された時、自分が生きていなかった事を悔やんでなりません。どれほど衝撃であった事か!!
この漫画は、漫画であって漫画ではなく、まして小説でも映画でも音楽でもなく、では何かと問われると、やはり漫画なのです。
漫画でしか成し得ない表現がふっと現れ、それらが何とも妙な淋しい甘美を持って私達を誘惑すると、気が付けば作品の中へ攫われてまっているものですから、自分は今漫画を読んでいたのかそれとも今までずっとここに居たのか、曖昧模糊となり判断が付かなくなってしまう訳です。
こう感じたのはやはり”書き下ろし”ならではの独特なリズム感ではないかと思うのです。勿論これが成し得るのも作家自身の感覚があってこそなのですが、しかしながら雑誌連載であったらこうも妙に心地の良い不安定なリズムは生まれていないのではないでしょうか。
リズム感もさる事ながら、ぜひ言っておきたいのが菅野氏の敏捷性であります。今までコントラストを効かせた劇画で進行してきたはずが瞬間、記号に変わってしまうというから驚くわけです。それも数ページのみ。手塚治虫氏が自分の漫画は記号だ、漫画は記号である、と語った漫画記号論は有名な話ですが、それにしてもここまでしますか菅野先生!と叫んでしまう程の衝撃を初見の私は受けました。事実読みながらそう声に出してしまいました。こんな事が出来るのも又”書き下ろし”ならではであり、これが又独特のリズム感を演出しているのではないかと思うと、私の了見では追いつけない作品自体のバイタリティに圧倒させられてしまう訳です。
「私はクレームだ。そして悲しいフリッカーだ。」
更に喜ばしいのは、巻末に作者直筆によるあとがきがある事です。あとがきファンの私にとっては錦上花を添えるとはこういう事かと思う次第です。そしてこのあとがきがやはり、作品に最後の花を添えている訳ですから何処をとっても本当に妙妙たる作品であり続けるのです。
是非この作品を手に取った暁には、私とどちらが悲しいのかくらべっこしてみませんか?
※こちらの商品は普及版:限定450部となっております。特装版を一度でいいから生で見てみたいものです...。
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(担当 清水)
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