「ヤア皆さん、ぼ、ぼくは小山内龍、本名沢田鉄三郎という自由労働者あがりの、け、けちな野郎ざんす。……このような彼が高貴に洗練された情緒的な画才を持つことに、われわれはびっくりした」
「サッサッサッと毛筆で一気に描きあげるムシの一匹一匹が生きており、表情をもっていた」
昭和10年頃、昆虫まんが執筆を依頼されたのがキッカケで、昆虫採集・飼育にのめり込むことになる。大戦のさなか、ほぼ昆虫一色の生活に浸り、オオムラサキの幼虫だけでも50匹になっていた。そのときの昆虫飼育奮闘記をまとめた「昆虫放談」(新装版を含めて5度刊行)を昭和16年に上梓し話題を呼んだ。
アマチュア昆虫博士としても名を馳せ、横山隆一、近藤日出造、横井福次郎と同じ漫画家集団を作り、茂田井武、鈴木寿雄と同じ時代を駆けていた漫画家・絵本作家の小山内龍。ユーモアある飄々とした絵柄で綴られていく作品を多数残してきたが、心臓が悪く42歳という若さで他界。
そんな小山内龍の、存在自体が歴史に埋もれていた未発表作品「イタチノオウチ」の原稿が奇跡にも発見された。
本作は小山内龍の得意とする可愛らしい動物モノで、作者のゆかいでやさしい気質がギュッと詰まっている。今回、カラー表紙、赤と黒で彩られた本文・見返しと、未発表であったものを完全な形で製本・刊行することが出来た。
「小山内龍は天才画家である」