墓標に戻る

昭和46年9月1日

昭和46年10月1日

昭和46年11月1日

昭和46年12月1日








上村一夫・蛍考

森田敏也

 劇画家・上村一夫は自他共に語るとおり、「絵師」であった。
それは彼がイラストレーター出身だからということではなく、あの独特のストーリー創りもさることながら、 彼の絵に十分魅力があり、作品中の1コマ1コマに絵としての主張が現れているからである。
だから、彼の描く女性の絵の向こうにドラマが見え、その女性の表情以上の奥深さが見える。 それはその女性の主張であり、そしてまた、上村一夫の主張なのである。一枚絵としての美しさ。
彼の描く絵は、その背景にある時間や空気を語り、さらに余韻を残してドラマを表現し続ける。

 そんな上村の魅力が遺憾なく発揮されたものに雑誌の表紙絵がある。
雑誌にはそれぞれ「顔」というものがあり、週刊漫画アクションは’67年8月の創刊からモンキー・パンチが、 プレイコミックは’68年6月の創刊から石森章太郎がその表紙を担当していた。
そして、さいとうたかをに続いてヤングコミックの表紙を描いたのが上村一夫だった。
さいとうが6ヶ月という短い期間だったのに対し、上村は’69年7月から’80年5月までの約11年間、計260冊近くを担当、 いかに「顔」として定着していたかが分かる。
上村は他にも「マリア」「同棲時代」を連載していた頃の週刊漫画アクションに数回と、 「さろめ」を連載していた頃のコミックVanに数回、表紙を描いているが、ヤングコミックの場合、11年もの長きに渡ったために、 そこに上村一夫という絵師の変還が見られて、とても興味深い。

 彼の表紙絵がスタートした’69年7月のヤングコミックに、彼は「アモン」を連載中だった。
その当時の表紙は、国籍不明の女の子をカラフルにあしらったもので、 「アモン」同様、アメリカン・コミックの影響を受けたバタ臭いタッチの、いかにも「イラストレーション」といった感じのものになっている。

 そして、上村の独壇場とも言える世界が現れてくるのは’70年の春先になってからである。
その頃、「くの一異聞」の連載も油がのってきて、上村らしさが画面に出始める。
表紙に描かれているのは相変わらず金髪美女だが、上村にしか出せない、 入りと抜きをうまく使ったペンタッチによる絵で、絶妙なエロティシズムを発散している。

 そして、’70年12月、中編「血と薔薇と青春」を経て、上村の初期の代表作に挙げられる「怨獄紅」の連載が始まる。
この25話からなる連作は、人間の深奥にある情炎に焦点をあてたものだが、この頃の表紙にもクセのある異色な作品が登場する。
リンゴと化した女、UFOの下でセックスする女、谷岡ヤスジ風のドクロを持つ喪服女など。
そして、ひじょうにユニークなシリーズが始まる。
それは、三度笠の股旅と現代の少女のツーショットというもので、その少女は、Vサインをする紫のワンピースの女、 ギターを抱え歌うロック少女、フランスパンを腰にさして自転車に乗る少女、ヘリコプターを操縦する少女など様々である。
これは、筆者が個人的に最も気に入っているシリーズであり、実際、彼のヤングコミックの表紙絵の黄金期といってもいいだろう。

 ’72年以降、上村一夫は、「おんな昆虫記」「苦い旋律」「しなの川」「夢師アリス」「醜聞交響楽」「青春横丁」と、 続々と問題作たる傑作を発表し続ける中、表紙絵に大きな変化が現れる。
毎回、女性の美しさや艶やかさを匂わす、上村流美人画を発表し始めるのである。
そこでは、アフロ・ヘアーの黒人少女、露天風呂につかる美女、 お茶をたてる和服美女、サーフボードにのる水着美女、マフラーにニット帽の少女など、 上村描くところのあらゆる美女のパターンが繰り出されていて、最もポピュラーな時期として楽しめる。

 そんな安定した世界が5年余り続いた後、’77年に、ヤングコミックのイメージが一変する。
それは石井隆、どおくまんといった執筆陣の登場にもよるが、何よりも上村描く表紙のスタイルが激変するのである。
一言で言えばSF的世界。メカや、この世のものとは思えない生物の登場に、 カラートーンやエアブラシで着色したようなタッチと、これまでの上村にはなかった世界が繰り広げられ、 その頃連載されていた彼の自伝的長編「関東平野」の作風とのギャップがおもしろい。
しかし、クオリティの面から見ると、残念ながらそのレベルは落ちており、 そしてそれ以降、低迷し続けるといわざるをえない。
もちろん、それは時代の変化にもよるだろう。明るくライトな風潮が好まれるようになり、 それまでの上村的世界が世の中にマッチしなくなったのも確かで、彼の画風の方向転換もやむをえなかったのだろう。
彼が表紙を担当する’80年半ばまで、その模索は続いていくことになる。

 さて、おまけ的な扱いになってしまったが、ヤングコミックと同様に、 上村が表紙を担当した注目すべき雑誌がもう一つある。
’71年9月から12月にかけて発行された「月刊タッチ」がそれで、 わずか4号発行されただけの短命な劇画誌だが、執筆陣を挙げてみると、 上村を始め、宮谷一彦、真崎守、望月三起也、山松ゆうきち、安部慎一、川本コオ、かわぐちかいじ、秋竜山、高信太郎と豪華だ。
しかし、このメンバーを見てアレッと思う人も多いと思う。そう、ヤングコミックそのままなのだ。
この他、特集記事や巻頭ヌード・グラビアもそれっぽい。というのもこの「月刊タッチ」は実は、 ’71年の少年画報社労働組合の大争議の後、 同社を飛び出した岡崎英生をはじめとする元・ヤングコミック編集部のメンバーたちが創刊した雑誌なのだ。
その縁で、上村が表紙を担当したのだろう。彼がそこで描いた表紙群は、ヤングコミックのそれとはスタイルが少し異なり、 絵画のように水彩で繊細に描き込まれたファンタジックな力作である。

 雑誌の表紙絵は、本来の目的である、雑誌の表紙を飾るという役割を果たせば、 その雑誌と共に捨てられ、忘れ去られるのが常で、それが後々まで残されることはほとんどない。
上村の描いた300枚足らずの作品もその例に漏れず、今日まで画集など別の形でまとめられたことがない。
もちろんそれは惜しむべきことだが、はかない命であるということが、かえってその作品の主張を際立たせ、 その美しさをより光り輝くものにしているといえるのではないだろうか。そう、まるで蛍の光のように。









70年1月27日号
初期の表紙絵から

70年5月27日号
ほとばしるエロティシズム

70年11月25日号
谷岡ヤスジ風

70年12月9日号
股族にピ〜ス!

70年12月23日号
超ケッ作!

71年7月14日号
股旅と少女

71年8月11日号
股旅とビキニ

71年10月27日号
股旅とヘリコプター

72年12月27日号
最高傑作のひとつか

73年3月14日号
そこにもドラマが・・・


73年8月8日号
おんなのパターンに限りなし

74年2月13日号
美し過ぎるおんながひとり

78年11月22日号
上村流SF・・・